夫のうつ病体験記

【前書き~下村幸子~】

実は私がカウンセラーの勉強をして、一番救われたのは自分自身でした。というのも、カウンセラーの勉強をはじめて2年目の冬、夫がうつを発症したのです。朝、頭が枕にめり込んでしまったように上がらなくなり、身体も布団に張り付いてしまったように起き上がれなくなり、頭痛もひどく、心療内科に行ったのでした。これまで10000件以上の精神疾患のクライエント様とお会いして参りましたが、カウンセラーとしてお仕事をさせていただく前から、一番身近に接してきたのは夫のうつ病です。

 

夫は37歳で発症し、断薬に成功したのは49歳の時。会社勤めをしていましたが、休職と復職を繰り返しながら、病気を治すこと、そしてその先どう生きていくか、もがき続けた12年間でした。

 

薬を飲みながら会社勤めを続けるのは難しいということもあって新たな道を探り、そして夫が自分だからこそやれる働き方を探して、出したひとつの答えがこのiカウンセリングの設立でした。

 

「自分が経験したことが、きっと今苦しんでいる誰かの役に立つ。」

私も同じ思いがあったので、夫婦で二人で社会起業をしようと決めたのでした。

 

病気の間は1日中起きられなかった時期もありました。何もかもが楽しくないとずっと言い続けてもいました。横でみていると、「楽しくない」というのは生きる力を奪っていくように見えました。それだけではなく、薬の影響で身体はむくみ、意識もぼんやりしてきて生気がどんどん失われ、家に帰る道も時々わからなくなっていく様子を目の当たりにしてきて、私はこの人を生きたまま失ってしまうのではないかという思いに駆られて、どうすればいいのか、なにができるのかを探し続けました。

 

 夫の場合、病気そのものの症状も辛そうでしたが、もう一つ、「薬を減らす」ということがものすごく大変だったのです。

 

夫は薬に対して非常に敏感な体質だったため、クリニックの先生も慎重に減薬に取り組んでくださいましたが、薬を減らすとそれまで薬で保っていたバランスが崩れて希死念慮(きしねんりょ:死にたくなってしまうという症状)が出てしまい、何度トライしても具合が悪くなって薬を戻す、または余計に増える、ということを繰り返しました。先生は当然生命の安全を優先されるので、死んじゃうよりは薬で衝動を起こさないようにしましょうとなりますから、薬が減る方向には動きません。でもそんなことをずっとしていたら、いつか薬で脳と魂がやられてしまうとの思いも強く感じていました。

 

どうやって薬を抜いたのか?については大切なところなので、このカテゴリとは別にお伝えしていきますが、断薬によって夫に起きた変化は、私にとっても想像を超えた世界でした。まず夫が発した言葉は「自分はなんでここにいて、こんなことをしているの?」だったのです。

 

そしてそれと並行して、感覚がとても過敏になってしまいました。薬は辛さを軽減させるために感覚を麻痺させている部分があるので、それがなくなってダイレクトに感覚が飛び込んでくるようになりました。そうして周囲の環境(食事や気候)、人間関係によって起きる身体や心の反応に翻弄される時期が続きました。それも1年、2年と時間をかけて自分の生活を取り戻してきました。

 

完全に薬が抜けてから3年。今では「そんなこともあったよね。病気のことは熱にうなされていたようであんまり覚えてないや。それにしても12年もだったなんて長いよね。」と話せるようになりました。元気に生き生きと身体を動かす夫の今の笑顔は、夫にとっても私にとっても、なににもかえがたい幸せなことだなと感じています。

  

気持ちも体調も落ち着いてきたので病気の時のことを書けそうだ、と今回夫の体験談を書いてもらいました。薬が抜けてしばらくは混乱もしていて書けなかったようでした。

 

ここに書かれた体験談は当事者本人の視点です。ここに、横にいた私から、夫になにが起きてきたのかと、わかりにくいところの補足説明もさせていただきながら、今、ご病気で苦しまれている方のもとへ届き、回復に向けた取り組みのための情報のひとつとして一助にしていただけたら幸いです。私からは青字で補足させていただいています。

 

文中、自分のことをD.J.HIROと言っています。これは闘病中に出会った『ミニFM』での愛称です。今では地域の方々やラジオ局の仲間、リスナーのみなさんからこの名で親しまれています。よろしくお願いいたします!

 

【うつ病最前線】 下村博史

はじめに

今回、この体験談を『うつ病最前線』という題でかかせていただくことにしました。

『最前線』と聞くと、最新の治療法とか先端医療のことを思い浮かべてしまうかもしれませんがこの体験談ではうつ病と診断された自分が何回もの社会復帰にトライしていった記録と現在の様子を記したものです。こうすればいいというのではなく、してきたこと、今まさに取り組んでいることを伝えたかったので最前線というタイトルをつけさせていただきました。

 

実はこれまでも講演会などでお話させていただいてきました。

タイトルは上記『うつ病最前線』

そして

   ・メンタルヘルスと福祉 

   ・薬害の悪夢               

   ・診察室の迷?名言集

   ・障害を持ちながら働くこと

というサブタイトルで闘病中にあった実際の出来事や感じてきたことを話してきました。

 

『本当にためになった、頑張ろうと思う』と、お話を聞いてくださった方からたくさんの感想をいただいています。これまで講演会でお話してきたことを少しずつ、そして現在の様子についても書いていきたいと思います。

 

うつ病で薬を飲み、頭も身体も重かった期間は約12年間です。

 

最初は頭が痛くて何も考えられない症状で病院を転々としました。うつ病の診断が出て治る病気だと聞いてホッとしました。ただ、その時は10年以上も続くとは思っていなかったですし、それもどんどんと症状が重くなっていって身体もいうことをきいてくれず、この先どうなってしまうのかわからないので将来への不安が襲ってくるし、どうしていいかわからなくなり、気持ちも麻痺していってしまいました。

 

このままじゃいけないと思っていても、体調に気をつけて過ごしていてもいつのまにかバランスを崩して破綻してしまうという状態を繰り返し、「なんでこうなっちゃったのかな」が家族の前だけでの口癖になっていました。

 

ぼんやりと思っていたのは、小学校時代に帰りたい。小学生の時が気楽だったというのではなく、毎日が新しいことの発見で元気に飛び回っている姿をもう一度と思っていたのでしょう。そして重たいほどまでのしかかっていた身体のだるさを忘れられたのは『ラジオ』で話をしている時間でした。

 

夫は港区にあるコミュニティカフェでのイベントで半径100mくらいしか電波が飛ばないミニFMに出会います。とても面白かったらしく、どうやったら電波を飛ばせるか考えて、自分で機材を買って、自分のラジオ放送局(やっぱり100mくらいしか電波飛ばないんですが)をつくって、あちこちのお祭りや自治体のイベントなどでD.J.HIROの名前でラジオイベントを開催していました。

 

現在は薬が抜けて3年が経ったところです。

 

休み休み籍を置かせていただいた会社を辞め、昨年馴染みのあった街に引越しをしたせいかもしれませんが、この12年間の出来事は遠い記憶のように変化していきました。

 

インフルエンザなど高熱で大変な経験をされた方は数多くいらっしゃると思いますが、平熱に下がると熱でうなされていたのはなんだか一瞬だったように感じるのに似ています。「えっ、12年も続いたの?」と、自分でも信じられません。

 

今、D.J.HIROは本当に小学校時代を過ごした街に戻ってきました。そしてラジオの仕事をしています。それだけではありません。朝、日の出とともに起きて身体を動かす仕事、そして時々頭を使う仕事をしています。

 

特に自然が好きなわけではなかったけれど、動物と過ごしたり、植物を育てたりもしています。

もちろん嫌なことが起きたり、心ない言葉に傷ついたりしてぐったりしてしまうこともあるけれど、それでも薬に頼ることなくひたすら回復するのを待って過ごしています。

そして、現在のこの時間、この瞬間がとても楽しいです。不安になることもあるけれど、目の前にやるべきこととやりたいことがはっきりとあるので薬を飲んでいた時のようなことはありません。

   

病気をしたからこそ気がつけたこともあるし、また病気をしたからこそこういう生活に出会えたのだと思います。でもこれが自分にとって1番よい生き方なような気がします。自分で気がついて、取り戻した、自分の生き方について書かせていただこうと思います。

 

 生きるためにはお金を得ないといけませんが、現代社会は、子どものころからたくさん勉強をしていい学校に行っていい就職先に行ってお給料をたくさんもらえるように、というのがなんとなく一番いい道という認識になっているように感じます。それはもちろんひとつの道なのでいいのですが、そこから外れてしまったらもうまともな人生はない、というイメージまでくっついてしまっているようにも思います。夫も育ってきた環境の中でそれを刷り込まれてきた感がありました。

 

本当にそうなのかな?いい就職先に入れれば幸せなのかな?幸せだとすると、なにがそこで幸せと感じさせてくれるものなのかな?希望通りの就職先に入ったはずなのに、こんなはずじゃなかったと仕事を辞めてしまう方もいらっしゃいますよね。じゃあ人が幸せを感じるときというのは一体どういう時なんだろう?

 

うつ病という病気は、私たちにとって幸せってなんだろう?というとても大切な根源的な問いに向き合う時間を作ってくれているのです。でもリスクも高い病気です。だからこそ、真摯に向き合うことが大切で、夫はこの12年の間でそこに向き合ってきたのだと思います。それは本当に大変なことだと感じられるので、尊敬しておりました。

療養中の生活で気をつけていたこと・ためになったこと

【意味のある病気】

妻からも義母からも「意味のある病気だ」と言われていたので、それが気休めの言葉だったとしてもそれが心のよりどころになりました。もし意味があるのだとしたら、そこから何か学んでやろう、転んでもただでは起きないぞ!との心積もりも生まれてきました。

 

結果としては、全く予想もしなかったことを学んでいたわけですが、この言葉があったからこそ前向きになれないような状況で前向きになれたのだと思います。

 

 

【お金の使い方~心がけたこと】

収入の見通しが立たなくなって、家計も大変だったと思いますが、自分が必要だと思ったことにはお金を使いました。貧困妄想のときはさすがにダメでしたが。

 

貧困妄想というのはうつの症状の一つです。十分な収入や財産があっても貧乏だという考えに囚われて不安が膨らんでいってしまいます。

 

なので、回復のために、もう一度社会復帰するために必要だと思ったことはとりあえず試してみました。また、これまでやっていないことにも取り組んでみました。

例えば、映画を見ることは苦手だったのですが、時間もあるしそれをやってみようとか。

 

 

 【認知行動療法の一貫で自分の気持ちを正直に文字にしました】

なにごとも記録をとって振り返りました。

嘘はつかない、見栄を張らない気持ちをノートやパソコンに書いて行くと、だんだんと家族や先生にもそのまま伝えることができるようになりました。

そのままの感情や怖い気持ちとか死にたい気持ちだとか、こんなことを言ってはどこかに連れていかれてしまうんではないかと思っていたことも伝えられるようになりました。

 

先生や医療関係者を信頼して診察の時間を守り、言いたいことを必ず紙に書いて整理し、服薬も忘れないようにしました。

やけを起こして薬と酒を一緒に飲んでしまったり、ODをしてしまったこともあったけれど、診察では嘘は言わないし、いつでも妻が診察に同席しても構わない気持ちでいました。嘘を言ってその分、薬が増えてしまっては困りますし。

 

他人に伝えにくいなと思ったり、嫌だと思ったりしたら、そのことを家族に伝えました。無理したくないことを伝えました。代弁を頼んだこともなんどもありました。頼むことでのデメリットもわかっているので、できるだけ頼みたくはなかったのですが、どうしようもないときは頼みました。

 

薬とお酒は一緒に飲むと、薬の種類や量、体調などによっては命の危険もあるほどなので、絶対に一緒に飲んではいけないのです。ODというのはオーバードーズ、多量服薬のことです。お医者さんから処方されている量を守らず大量に飲んでしまうことです。どちらも命の危険がありますので、やってはいけないことです。ところがこれが止まらなくなっていた時期があったのです。やっちゃダメだと説得しても、本人もわかっていてもやってしまうこともあります。この時は私も生きた心地がしませんでした。仕事で外出するけど、仕事中も気が気ではなく、急いで帰宅して生きてる顔を見てほっとする、という日々でした。もうあんな思いはしたくないです…。こういう時のご家族の気持ちは身に沁みています…。でもやはりこれは本人が出口が見つからず苦しんだからだと思います。答えはすぐには見つからないかもしれないけれど、一緒にどうしたらいいのか探していくことが大事だと思います。そしてこうなってしまっている時はかなり重度だと思ってください。言っても言っても聞く気がないように見えてしまうかもしれませんが、そこで見切りをつけるのではなく、苦しさに耳を傾けていくことが大事です。そばにいる方はご自分の身を守ることも忘れずに。

 

 

【病気のことは身近な人にしか知らせてませんでした】

病気のことは家族、職場、親しい人にしか打ち明けておらず、また体調の悪いときは人に会わないようにしてきたので病気のことに気がつく人もいなかったです。調子が悪くて不機嫌な顔を見せてしまうくらいなら、人には会わないようにしていました。

 

家族にはずいぶんと当たってしまったことがありとても反省していますが、こんなことを他人様の前でしたら本当に社会復帰の時に力になってくれない、それに自分だって相手の立場になったら嫌ですし、他にも病気を抱えながら頑張っている人もいるのだからそういう振る舞いは慎まなければと思っていました。

 

また、怖かったり、すごく気持ちが落ち込んだりしたときは泣いたり、眠ったりしてやり過ごしました。

 

 

【食事は作ってくれた人のことを考えて】

そして自分の記憶ではせっかく作ってくれたご飯は全部食べるように、余ったら次の食事で全部食べるようにしました。

 

うつの時は三大欲求(食欲・性欲・睡眠欲)にも影響が出ます。減退するのが一般的です。夫も少なめに作っても一度に食べられないことが多かったです。でも食べないとどんどん痩せて、体力も落ちてしまうので、食べられるときに少しずつでも栄養を身体に入れられるようにしていました。これは人それぞれかもしれませんが、食欲がなくても頭が痛くても、アイスクリームとアイスティーは大丈夫でした。気分もちょっと晴れていたみたいでした。

 

1日の過ごし方の変化~闘病中と今~

うつ病、あるいは精神疾患のある人は朝が弱いと言われています。自分もそうでした。

薬を飲んでいるからとかその前に睡眠が取れないからとか、理由はたくさんあげられます。

でもシャキッと起きて動ける日もあり、その理由もいろいろあげられます。

いろいろあげられるということは、どれもこれだと言い切れない。だから体調管理を心がけても管理しきれない思いがありました。

 

駅くらいまでは歩いた方がいいと思っても、背中や肩から湯気が出ているようなだるさでした。誰かと一緒に話しながら歩けば気もまぎれてよかったのですが、足取りが重いのでついていくのが大変でした。家族以外にはなかなか言えませんでした。「早いよ!

 

具合が悪いと、起きているのが4時間くらいの時が続きました。働いているのが4時間ではなく、起きている時間です。ご飯を食べて、ネットや本を見ていたら、それでおしまいでした。

 

 

これを書いてる夏至の今頃の生活は、4時に目覚ましラジオが鳴りラジオ深夜便の放送が流れます。楽しみにしている「明日へのことば」をゆったりとした気持ちで聞きます。途中でもう一度眠ってしまうこともあります。

 

そうしているうちに外が明るくなって、飼っている犬が早く外に行こうよと催促してきます。日の出とともに家を出て、公園で運動をします。朝陽をめいいっぱい浴びながら、犬とサッカーで遊びます。1セットは約5分。今度ラジオでオンエアしたいと思っている曲をかけながら、終わると休憩です。それを3セット終えて家に帰ります。

 

家に帰ると読経を始めます。病気の頃始めた読経ですが、何年かに一つずつ増やして行って今は四つのお経をあげます。読経と言ってもうち三つはほとんど暗唱しているのでそんなに大変ではありません。時間にして約15分、これも最初は信じられなかったのですがお経をあげているとよい言葉に守られているような気がして、不安をはじめ恐怖や怒りの気持ちも収まっていくように感じます。

 

お経が終わったら、ラジオ体操です。東京にいるときは近所の公園にシニアの方が集合してその中に混ぜてもらっていましたが、ここつくばでは夏休み以外は開催しておらず家の中で1人で行なっています。

 

体操の楽しいところは、骨についた筋肉()がはがれるような感じになり実に気持ちよく感じることでしょうか。D.J.HIROは第二体操が好きなのでそれを楽しみに最後までしっかりと取り組みます。

 

体操が終わったら庭の草花にお水をあげます。冬と間は数日おきでよかった水やりも、今は一日二回行なっています。毎日お花を見ているとその変化の様子がよくわかります。鉢の数にして50以上あるので密集しているところではつい水をやり忘れたか、不十分だったりすることがあります。そうなると、次の水やりの時はぐったりとしていてびっくりしています。すぐに、ごめんねと謝りながらしっかりと水をあげます。そうすると次の時にはなんでもなかったかのように元気になっていてくれて命のたくましさに感動します。

 

水やりが終わると朝食をいただきます。そして本日の仕事の予定を確認して、さて仕事。と、なりますが実は朝運動してきた犬も食休みを終えていて、もう一度外に行きたいと催促してきます。暑くなってきた季節、これ以上暑い時間帯の運動は犬も人も危険ということで仕事に取り掛かる前にもう一度運動に出かけます。

 

さて、いよいよ仕事。と、なりますが、実はまだ睡眠がうまく取れているとは言い難いので、体調によってはここで眠くなったりして少し仮眠を取ってからスタートすることもあります。なので、仕事のスタートは9時とか10時くらいでしょうか。ここから一生懸命取り組んで一日の仕事に向き合います。

 

疲れたら休む、夕方にはまた犬が出かけようといってきますし、お花達にもお水をあげますのでその時間も考えながら体調に気を配って一日を終えます。

 

具合が悪くなったらすぐに休むを繰り返しながら、大きく体調を崩さないようにして毎日を過ごしています。

 

一度うつ病など精神疾患になってしまうと、完全に元の通りにはなりにくかったりします。病気になる前よりも体力が続かないと感じてる方はかなりいらっしゃると思いますし、”再発”という言葉が使われたりもして、怖がられます。症状が辛いのでまたなったらどうしようと怖がるのは当然ですが、“症状は味方”と考えていただく方がいいです。

病気になった時というのは、心身に相当な負荷がかかってしまってのことなので、身体は同じような状況にならないよう、早めに警報を鳴らしはじめているようにみえます。「あの怖い状況になったらやでしょ?だから早めに自分のケアをしてあげましょ!」と、ちょっびっとだけ脅し?みたいにも見えますが、やっぱり生き物は痛い目にあうと強烈に学習するという機能がついていると思われますので、症状をちらつかせて気をつけさせる、というのは効果が高いのでしょうね。

なので、再発を恐れるのではなく、ちょっと調子が悪くなったと感じたら、「お疲れ気味のお知らせサインとして症状が発動してくれた」と考えるのがよいと思います。ウルトラマンのカラータイマー(って今どれくらいの方に通じるのかな?)の点滅してるような状態ですね。そしてそんな時は、いや、できたらそうなる前に!積極的に自分のケアをすること、社会的に求められる要求や期待(本当にされている場合とそうしなければ受け入れてもらえないと思い込んでいる場合がありますが)には心身に負担をかけすぎない範囲で応えるようにする、犠牲的にならないように心がける、といった方に意識を向けて行動を決められるとよいと思います。

 

今の仕事に行き着くまで

 1.最初の休職

病気と診断され休養に入りましたが、この時は何もかもが手につかないということはありませんでした。ネットを見ることはできますし、計算や描画などをのぞけば、勉強をしようと思えばできました。ただ、集中力が続かずじっとして取り組むことが1番の課題となってしまいました。

 

2.1回目の復職

まず会社に慣れることを目標にした職場復帰については上司の方、グループの方に本当によくしていただいて無事に戻ることができました。できないこと、苦手なことも多々ありましたがそういったことはうまく避けてくださる配慮もあって3年間無事に過ごすことができました。

 

3.2度目の休職

ところが本当に些細なこと、なのかどうかもわかりませんが理由もわからないまま突然体調に異変が起きます。今まで経験したことのないような病状が自分を襲い、お医者さんもきっと困っていらしたのではないかと思います。それで再び長期の休みに入ってしまいます。会社に行こうと思っても、許可がおりない。

 

「本当に電車に乗って会社に行けますか?」と聞かれて「行けます!」と答え、朝の電車に乗れるところをアピールしようと試みたもののちゃんとできたのは一回だけでした。

 

 4.自分にとってのストレスは…

ストレスをかけないようにとの配慮も、これまでこれ以上ないくらいに気を使ってもらっていて他に何がストレスなんだろうと思ったとき、自分で気がついたんです。

 

何もしないで待ちの姿勢でいることが一番のストレスだと。

 

しばらく薬を飲んで体調は落ち着いてきたのですが、同時に大きな副作用をもたらしました。何も感じない、感情の起伏がないモノトーンの世界が広がっている。

 

5.だったら動いてみよう

何もしないからストレスなんだ、刺激を感じないなら自分から動いてみればいい。そんな思いで、今度は手当たり次第にいろんなことにチャレンジしました。

怖がっていた人付き合いも、積極的に押す気持ちでどんどんと広げて行きました。ここまで自重しても治らなかったんだから…という反動もあったのでしょう。でもそれでで動きすぎてしまったためか、今度は自分の身体が悲鳴をあげて再び倒れてしまいました。

 

6.動いたことで見えてきた

倒れてしまったけれど、激しく動いたことで見えて来たことがいくつかありました。人間追い詰められたらこれに頼るしかないという覚悟もそこでできたと思います。で、なければ「起業する!」とはならなかったのでは?と思います。

 

7.断薬成功!

覚悟といえば言葉はよいですが、やけっぱちだった側面も否定できません。病状のことを知った人からたくさんのアドバイスをいただきます。自分でも一つ一つ取り組んで行きました。でも無理をしてかえって悪くなったりしたこともありました。

 

色々取り組むうちに、「はい、今度はこれですね。」と、手がけたものが効いて奇跡的に断薬に成功しました。精神の薬は減らしていくとどこかで調子を崩してしまいます。自分の場合はそれが何度もあり、その中で本当にひどい目にあったりとなかなかうまく行きませんでした。それで一日20錠以上!飲んでいた薬をすべて断薬できたのでした。

 

8.薬が抜けてわかったこと

10年以上薬を飲んでいた自分は、薬が入った状態での自分であって、本来の自分とは似て非なるものでした。薬で眠らされていたというか、言ってみれば酔っ払っていたようなもので、それがいきなり目が覚めたものですから、外から地球に降り立った宇宙人が感じるであろう「ここはどこだ?自分はなんでここにいるんだ??」の気持ちになりました。

 

そして、頭にも身体にもそして記憶にもさまざまな衝撃が走ります。今はそれと向き合いながら少しずつそれらの回復を目指しています。

でも、その過程で気がついたことが一つ。薬を飲んでいると酔っ払っている状態と先ほど書きましたが、そう鈍くなっているんです。ですから、他人の言動とかはまあまあ受け流せたりしていたんです。ところが薬が抜けた状態だと、心ない言葉に今まで以上に傷ついたり、嫌な思いや許せない気持ちでものすごく堪えます。

 

今までだったら嫌なことがあったら、薬を飲んじゃってやり過ごしていたのですが、もう薬も勘弁なので飲まずに耐えています。そうして耐えているうちに気がついたんです。病気になる前以上にタフで強くなっている自分に。

 

9.宣伝みたいで恐縮ですが

とにかくダメージからの回復が早い。そして打たれ強くなっている。歳のせいなのかもしれませんがそれは顕著でした。自社の宣伝をするわけではありませんが、もしかしたらFAPという心理療法で自分の心にこうした嫌な出来事から身を守るバリアができているのかもしれません。

 

10.薬を抜いた自分を支えてくれたのは

このバリアに加えて、病気になる前に取り組んできたこと、そして病気中に暗中模索しながらあれこれやった経験、これら全てが自分の力になり宝物になりました。

 

周囲から見れば、笑われてしまうような生き方に映るのかもしれないけれど、自分にとっては、病気の間に感じていた「何をしたらよいのかわからない」「うまくいった喜びを感じることができない」「身体が思うように動かない」といったことはなくなってきて、この生き方を進めばいいんだとすごく楽しい思いで毎日を迎え、身体や頭を動かして仕事をし、そして手応えのある人生を送っています。

 

病気の期間は日記や写真など記録もたくさん取っているし、思い出すこともできるけれどそれが12年にも渡っていたと聞くと自分でも信じられません。自分の周りにそのような人がいたら、その人を支えて寄り添って行けただろうかと、周りにいて接してくれていた家族やみなさまに本当にありがたかったと思っています。

 

11.「これからの学び方、働き方、生き方」

今、自分はD.J.HIROという名で「これからの学び方、働き方、生き方」を伝えていきたいという思いをもって仕事をしています。これらのことは、人生の途中で病気になってそこで出会った方やことから学び、気がついたことです。

 

自分の話が誰かの役に立つために正しいことを伝えようとしているのではなく、こういう経験をしてこういうことを学んで実践して来たことをお伝えし、そして自分を支えとなってくれた方たちへのお礼を込めて、書いて、伝えていきたいと思います。

 

『仕事』については、病気になる前元気に仕事をしていた時、病気になった時にやっていた業務内容、復職してから2回目の休職になってしまった時の業務、お給料をもらえるものではないけど休職中に依頼を受けて取り組んだこと、そして今やっていること、これからやろうとしていること、これらを通して見えてきたことがあります。

人はどうやら誰かの役に立つ(自分が誰かのためになにかができる)、自分で決めることが出来る、その仕事が人を幸せにする、ということがとても大事なことだと感じているということです。そこには双方に喜びや感謝が存在しています。

逆に人を不幸にしてしまう可能性のある仕事は少なからずどこかに歪みが生じるものですね。

夫も私も夫の病気を通じてここは痛感してきました。

 

会社勤めがいけなかったわけではありません。会社員をしていた時も元気に楽しそうに仕事をしていた時期もありました。上記の要素がどうなっているか、ということを大事にしながら道を探していけるといいのだと思います。

 

これからの学び方・働き方・生き方

D.J.HIROは『これからの学び方、働き方、生き方』をテーマにカウンセリングを行います。

 

このうつ病体験記を読まれると「病気を抱えた方が仕事をしていく方法」という印象になるかもしれませんが、そうではありません。

 

これまで家庭教師や塾講師、会社員の時は研究所・事業部・本社経営戦略部門・人材育成に携わって参りましたので、一人ひとりの個性や得意不得意を的確に捉え、その人に合った勉強や仕事の仕方や打開策などのアドバイスをいたします。

 

これまでの幅広い仕事の経験に加え、病気を通して私たち人間にとって本当に大切ことはなんなのか?ということを視野に入れ、単なるノウハウではないその人なりの道をつくるお手伝いをさせていただきます。

 

D.J.HIROについてはこちらもご覧ください→カウンセラー紹介